日本人イスラム教徒日記:イスハーク・バイナ・ル・アバダイン

日本人イスラム教徒となって5年目を迎えてスタートしたブログです。タイトルの意味は「二つの永遠の間のイスハーク」。 gooブログの「日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記:アナー・イスミー・イスハーク」の続編。

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第1回:能書きだけダラダラと

 俺はあまり良いムスリムではないだろうが、それでもクルアーンは読むし、できれば理解は深めたいし、できればハーフェズ(クルアーンを全て暗記した人)になりたい。


 でもそのためにはアラビア語で読めて、アラビア語で理解できるようにならなくてはならないだろう。
 頭の柔らかい子供ならいざ知らず、オッサンになると、意味も文法も考えずにただ読み方だけ音として丸暗記というのはもう無理だ。アラビア語の勉強をした方が「急がば回れ」という結果につながるに違いない。


 しかしアラビア語を学べる機関・機会は非常に少ないので、結局独学でアラビア語を学習することとなった。クルアーンの内容の学習もほとんど独学になった。
 だから非常にひとりよがりになったり、間違った解釈をしている可能性大。


 そんな危険を顧みず、このシリーズではクルアーンの各章について、自分の学んだことをつづっていこうと思う。


 でも、俺なんかよりはるかに立派なムスリム/ムスリマの方々がクルアーンの解説をしたホームページや、クルアーンの音声も聞けるホームページなどはすでにいくつもあるわけで、それらと同じことをやってもオリジナリティが無い。
 そこで、次のような構成と予定で続けていこうかと思っている。


〔一回一回の構成〕
1.冒頭にアラビア語の原文。長い章は何回かに分ける。
2.次にアラビア語の読み方をカタカナで表示。
3.日本語訳。日本ムスリム協会の『註解 日亜対訳クルアーン』などを引用。
4.書いてある内容を、ノンムスリムの人向けに、できるだけかみ砕いて説明。
5.各単語のアラビア語の説明。語形変化・語根・用法など。
6.啓示が下された時の状況説明や、学習して思ったことなど、補足説明。


〔全体の予定〕
1.能書き…今回
2.バスマラについて
3.イスティアーザについて
4.第1章「開端章」
5.第113章「黎明章」
6.第114章「人々章」
7.第112章「純正章」
※以降は未定。必ずしも番号通りではないが、原則は後ろの方の章から。 


 クルアーンは正直なところ、日本語に訳してあっても読みにくいし、内容がわかりづらい。
 ましてやアラビア語を勉強して、アラビア語で読みながら意味も理解するはとても難しい。
 そんな難しさの前に四苦八苦した記録だと思ってください。
 また、間違いを発見された方は是非教えてください。よろしくお願いします。

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クルアーン読解 | コメント:1 | トラックバック:0 |

広大なイスラムの世界に戸惑ったあの頃

 またまた入信初期の頃を振り返ることにする。どうもこの1年くらい、だらだらとしたイスラムライフを送っているので、初心に返るという意味で。


 ムスリムになってまずやらなくてはいけなかったのが、身の清め方と、礼拝の動作と、礼拝の際に唱えるアラビア語を覚えることだった。


 よく、市販のイスラムの概説書などで、礼拝の動作の図解を見かける。そのようなものを見るとそれほど大変そうに感じないのだが、実際は一通り覚えるまでにかなり時間がかかった。


 イスラミック・センター・ジャパン発行の『サラート イスラームの礼拝』という冊子が私の教科書。薄いのに必要なことがコンパクトにまとめてあり、非常にすばらしい冊子で、現在でもときどき読み直している。


 何がすばらしいかというと、礼拝に必要なアラビア語がすべてカタカナで書いてある。その中にはクルアーンのいくつかの章も含まれる。


 左側のページにクルアーンの原文(アラビア語)、右側に読み方と、日本語訳が記してある。いきなりアラビア語は読めないので、やはり初心者にはカタカナの読みはありがたかった。


 厳密に言えば、アラビア語の正しい発音とは言えないだろうけれど、ムスリムになった以上はとにかく片言でもいいからアラビア語のフレーズを覚えなくてはならない。


 第1章「開端章」はムスリムなら誰でも覚えなくてはならない章で、全7節からなる比較的短い章。ムスリムであれば、一度覚えた「開端章」はまず忘れることはない。一日五回の礼拝の中で必ず唱えるし、礼拝の時以外でも、ふとしたときに口ずさんでいる(?)ことも多い。


 その他、第102章~第114章、第2章255節(「玉座節」と呼ばれる重要な部分)が掲載されている。前のブログでも書いたけれど、このあたりの章はすべて暗記した。


 反対もあるだろうけれど、クルアーンの読みをすべてカタカナでも記した書籍があると、クルアーンを読んだり、暗記したりする大きな手がかりとなるので非常にありがたい。


 とはいえ、やはりアラビア語の学習は避けて通れない。
 本来の発音がわからないままになるし、クルアーンをアラビア語で読む際にもきちんと意味をとりながら読むのが正しいからだ。


 カタカナで記された以外の章もいずれはアラビア語で読まなくてはいけないので、アラビア語学習も入信直後に始めたが、さすが世界一難しいと言われる言語、大パニックになってしまった。
 文字が覚えられない、日本語に無い音が多い、文法が複雑、適切な入門書が少ない、習える場所が大学以外ほとんど無い…泣きそうだった(いずれアラビア語については別に項目だてる予定)。


 その上、クルアーンのアラビア語は日常使用するアラビア語と異なる表記法があったりしてますます頭が大混乱!
 結局、一時期エジプト大使館に通った以外は独学で勉強し、辞書を引けるレベルには達した…というと、「何のこっちゃ? 辞書なんか簡単に引けるだろう」と思う人がいるかもしれないが、アラビア語の単語を辞書で調べるというのは、基本的な文法事項がわかっていないと不可能な、なかなかややこしいことなのだ。


 さらにクルアーンの文章が非常に雑然とした感じでわかりにくい。日本語訳では、日本ムスリム協会発行の『註解 日亜対訳クルアーン』と、岩波文庫の井筒俊彦訳の『コーラン(上・中・下)』を読んだが、日本語でも頭にすっと意味が入らない。


 クルアーンだけでなく、ハディース(預言者言行録)も読まなくてはならない。
 聖預言者ムハンマド(サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム)の生涯や、彼を取り巻く人々のことなども知らなくてはならない。
 教義をまとめた書籍なども読まないとクルアーンだけではついていけない。
 モスクの壁などに書いてあるクルアーンの章句などを読もうとすると、アラビア書道の素養が無いと読めないから、アラビア書道も習い始める。


 かくして、クルアーンの暗記、アラビア語学習、ハディース学習、アラビア書道の稽古、聖預言者の伝記学習、イスラム思想史学習、イスラム史学習と、イスラムという大海の中でアップアップすることになったのだった。


※クルアーンの第1章「開端章」については、機会を改めて取り上げようと思う。

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星空を見上げて

سورة البروج





وَ السَّمَآءِ ذَاتِ الْبُرُوجِ




وَالْيَوْمِ الْمَوْعُودِ




وَ شَـاهِدٍ وَ مَشْهُودٍ





 スーラトゥ・ル=ブルージュ 1~3


 ワ・ッサマーィ・ザーティ・ル=ブルージュ   


 ワ・ル=ヤウミ・ル=マウウード


 ワ・シャーヒディン・ワ・マシュフードゥ


 クルアーン第85章:星座章 第1節~第3節


 諸星座のある天において、


 約束された日において、


 立証する者と、立証されるものとにおいて(誓う)



 このブログのタイトル「イスハーク・バイナ・ル・アバダイン」は、悠久の時間の流れの中での自分の存在の小ささを自覚したものである。


 その一方で、空間の中で自分の存在の小ささを実感するという自覚の仕方もある。


 ひとりで星空を見上げているとき、俺だけでなく、多くの人は自分の存在の小ささを感じるのではないだろうか?


 そして自分の小ささを自覚したときにどうするか?


 よくあるのは、「この広い宇宙に比べて、自分の悩みなどほんとにちっぽけなことなんだなあ」と感じつつ悩みを忘れる…という態度である。そうやって心を浄化する。


 とはいえ、悩みの内容によるけど。


 好きな女の子(男でもいいが)にフラれて苦しくて仕方ないときにこのような方法で悩みを忘れるのは健全である。


 しかし、「借金が800万円あるけど、ちっぽけなことだなあ」とか「娘がグレて援助交際しているけど、宇宙の広さに比べればどうでもいいことだなあ」というのはいけない。
 そういう悩みはごまかさずにちゃんと向かい合ってもらいたい。


 また、自分の小ささを自覚したとき、限られた時間と空間の中で自分なりに頑張っていこうと奮起するという態度もある。


 川底の、砂粒ひとつ程度の存在だけれど、もしかしたら砂金のようなささやかな輝きを放てるかもしれない。


 とはいえ、砂粒には砂金の価値がわからないように、人間には他人の真の輝きがわからないかもしれない。

 
 では誰が人間の真の輝きをわかってくれるのか? そして救ってくれるのか?
 一神教の信仰者なら答えは言うまでもないだろう。


 日常生活の中に埋没していると、「どうせ人生は死ぬまでのヒマつぶしだなあ」などという虚無的な気持ちを持ったりもするが、静かな夜にひとり星空を見上げていると、すんなりと神の存在を信じることができる。


 そして「約束された日」をめざして頑張らねばイカンよなあ…とようやく殊勝な気持ちになったりするのだ。


 ムスリムになって5年目だが、「日常の暮らしの中で一瞬の迷いもなく神を信じている」と言ったらウソになる。正直な話、いまだに迷いはある。


 たまに星空を見上げて信仰心を立て直す。そんな信仰スタイルがあってもいいんじゃないか? と、勝手に自己正当化している。


 そんな心境とぴったり合ったのが、このブログのテンプレート(デザイン)。星空をとても美しく表現しているし、きらめく星のひとつのようになれたらと思わせてくれる。作者に感謝!


 ところで、このブログのトップの右上の「Starchart」というところをクリックすると、タイトル部分にある変化が起こるの知ってた? 知らなかった人は試してみてください。 

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クルアーンより | コメント:1 | トラックバック:0 |

イスラム用語の基礎知識

このブログの読者層がどうなっていくかわからないが、以前のブログ「アナー・イスミー・イスハーク」では、イスラムに関心を持ち始めたばかりの人も結構いた。
そこで、このブログに登場する語句を中心に基本的なイスラム用語をまとめておくことにする。
各項目とも、日本語・アラビア語・解説という構成。随時更新してゆく予定。


【ア行】

アッラー الله 

 
 唯一の神のこと。「神」という言葉に該当するアラビア語だと思ってもらえばいい。固有名詞ではないので、「アッラーの神」という言い方は間違い。
 したがって、アラビア語ではキリスト教の神もユダヤ教の神もアッラーと表記する。もちろんアラビア語の聖書では「THE GOD」のことを「アッラー」と表記してある。


イスラム/イスラーム  إِسْلاَمُ 


 イスラム教のこと。アラビア語により近い表記は「イスラーム」だが、日本では未だ「イスラム」という言い方の方が根強く、ネット検索のときのキーワードは「イスラーム」より「イスラム」にする人の方が多いだろう…という極めて現実的な理由で、このブログではあえて「イスラム」という表記にしている。でもときどき「イスラーム」になったりする場合もあると思う。


イスハーク إِسْحَاقُ


 このブログの管理人のムスリム名。ムスリムはイスラム教徒のこと。
 当たり前だが、アラブ人は生まれつきアラブ人らしい名前がついている。アラブ以外の地域の人がイスラム教徒になると、アラビア風のムスリム名をつけることが多い。もちろんつけなくても一向にかまわない。
 イスハークは、キリスト教でいうイサクのこと。ヘブライ語ではイツハク。暗殺されたイスラエルのイツハク・ラビン元首相もこの名前。
 イブラーヒーム(アブラハム)の息子で、イスマーイールの弟。クルアーンでは預言者のひとりとされている。イスハークはイスラエルの民の先祖とされているため、イスラム圏ではあまりこの名を付ける人がいない…んじゃないかと思う。


【カ行】


【サ行】


【タ行】

 東京ジャーミイ طُوكِيُو جَامِعُ


 東京の代々木上原にある、日本最大のモスク(イスラム寺院)。トルコ共和国政府が管理・運営している。トルコ文化センターを兼ねているため、ムスリム以外の人も見学できる。大変美しい建物。


【ナ行】


【ハ行】


【マ行】

ムスリム/ムスリマ مُسْلِمٌ / مُسْلِمَةٌ


 イスラム教徒のこと。男性はムスリム、女性はムスリマ。男女混じっているときはムスリム。


ムハンマド مُحَمَّدٌ


 アッラーの言葉を人々に伝え、イスラムを確立した人物。神の子などではなく普通の人間。アッラーから選ばれて、人類史上最後の預言者(神の言葉を預かった人)となった。
 西暦570年頃に生まれて西暦632年に死去した。
 ムスリムは、彼の名前の後ろに「サッラッラーフ・アライヒ・ワ・サッラム(彼に祝福と平安あれ)」という言葉をつける。話すときも書くときも。短縮して「SAS」などと表記する人もいるが、あまり良くないとされる。それに「サザン・オール・スターズ」だと思われかねない。


【ヤ行】


【ラ行】


【ワ行】

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入信の頃のつまずき…日本イスラム界への不信

以前、他のブログに書いたこともあるかもしれないが、2004年1月13日にムスリムになった頃のことを綴ってみたい。


ただし、以前は書かなかった本当の心境なども書くことにする。


仕事が休みだったこの日の朝、なぜか急に「イスラム教徒にならなくてはならない」という強い衝動に駆られて、東京のイスラミック・センター・ジャパンを訪れた。


そして、入信したい旨を伝えると、その場にいたカリード氏(日本人)とイブラーヒーム氏(日本人とパキスタン人のハーフ)が立会人となってくれて、信仰告白をし、めでたく日本人イスラム教徒の誕生…となるかと思いきや、そうは簡単にいかなかった。


イスラム教徒になったという証明書を発行するのに、イスラムについて勉強してレポートをまとめて提出しろという指示が出た。それを半年ほど続けた後に正式にイスラム教徒である証明書を発行するとのこと。当時の、ある日本人理事の方針だったらしい。


今考えると、信仰を求めていった人間に、「勉強してレポートをまとめないと入信を認めないぞ」というような態度はいかがなものかと思う。
そういうことをやっているからせっかく入信しても離れてしまったり、「じゃあいいです」という人が出てくるのではないか。入信してからゆっくりと学んでいけばいいち思うが。


結局、一回目のレポートがそれなりに出来が良かったと認められ、半年の予定が二週間ほどで証明書発行となった。


ちなみにイスハークという名前はイブラーヒーム氏が挙げた候補の中から自分で選んだものである。イブラーヒーム氏とはいろいろないきさつから疎遠になっているが、今となっては感謝することも多い。


信仰告白した日に、さまざまな冊子を頂き、自宅で礼拝に必要なアラビア語を必死で暗記したり、礼拝のやり方を練習したりした。
しかし、冊子に「礼拝は先輩のイスラム教徒からきちんと教わった方がいい」というようなことが書いてあったし、確か信仰告白の日にもそう言われたので、後日イスラミック・センター・ジャパンを訪れた。誰かから礼拝の仕方をきちんと教わるためである。


ところが、センターにいた日本人の方に「礼拝の仕方を教えてください」ということを伝えたところ、「本などを読んで自分で覚えてください」という。片言の英語で近くの外国人にも頼んだが、同じような返事。
結局、何人かに声をかけたが、礼拝の仕方を教えてもらうことはできず、2階(だったかな)の礼拝室で、自宅と同じように冊子を見ながら礼拝して帰ってきた。


「入信の時にレポートまで書かせるわりには、イスラミック・センター・ジャパンというのはずいぶんといい加減な組織であるな」と感じたものだ。それ以来イスラミック・センター・ジャパンには行っていない。


そして、やはりイスラム教だからウンマ(共同体)に所属することが大切だろうと自分なりに考え、日本ムスリム協会に電話して、入信したいという意向を伝えたところ、「会員の紹介が無いとダメ」とあっさりと断られた。
それから数年たって、たまたま日本ムスリム協会の事務所に本を買いにいったところ、重鎮の方々がいらして、「私たちが推薦人になってあげるから入会しませんか」と言って頂き入会した。
だが、最初に電話したときのにべもない断り方をされたときの少なからぬ失望とショックは忘れない。「こちらは随分と偏狭な組織であることよ」と感じた。


そんな中で、東京ジャーミイの方々には大変よくしていただいた。特に副代表のアブドゥッラー氏(トルコ人)には感謝してもしきれないくらい面倒をみていただいた。私がもっとも敬愛するムスリムの一人である。


日本イスラム界の方々がときどき、「日本人はせっかく入信してもだんだんとイスラムを離れてしまう人が多い」というようなことを書かれているが、以上のような体験をした日本人ムスリムとしては、日本イスラム界の体質にも原因があるのではないかと強く感じている。
入信したときからつまずきまくりだ。これじゃあ、入信した途端にイスラムから離れる人も出てくるって。最近は少しは改善したんだろうか?

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一人称について

どうも日本語の一人称が苦手だ。


職場や知人には対しては、「私」ということが多い。でもよそよそしい感じはぬぐえない。ネット上でもだいたい「私」を使っているが、どうも心にブレーキがかかってしまう。


「僕」という言葉は子供っぽい印象があって昔から好きではない。私生活でもまず使わない一人称だ。


「俺」だとなんとなく傲慢な感じがする。親しい友人や、ある程度年下の知り合いには使うことがあるけれど。


「わし」は、本当はシャイな人が傲慢を装っているようでこっ恥ずかしい。マンガ『ゴーマニズム宣言』の作者の小林よしのりとか清原とかね。


かといって「小生」や「拙者」はかしこまりすぎだし、「わちき」はふざけすぎている。
「自分」という言い方はスポーツや武道の世界では普通に使っていたが日常的には変だ。自然に使いこなしている人がいるが、あれは一種の才能だと思う。一歩間違えると、硬派を気取っている頭の悪い大学生みたいになってしまう。


一人称ひとつとってもさまざまな表現があるところに、日本文化における人間関係の複雑さが現れている気がしてならない。
そして私(と、ここでは使ってみる)は昔から天才的に人間関係がヘタである。一人称が苦手ということはその反映でもあるんだろう。


英語なら "I" だけですむし、アラビア語なら أَنَا (アナー)だけですむ。
できればそういう文化圏に生まれたかったものだ。


とは言っても日本に生まれてしまった以上は仕方ない。苦手ながらもそれぞれの場面で一人称を使い分けるしかない。


そして、このブログでは自分のことを「俺」と表現してゆこうと思う。ネット上で「私」を使うのは少々飽きたし、多少の傲慢さや我を出してゆこうと思うからだ。


途中で気が向いたらまた別の一人称を使うかもしれないし、「私」に戻るかもしれないけれど、とりあえずは「俺」でスタートだ。

テーマ:とりあえず書いとこ ~ф(゜゜) - ジャンル:日記

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ブログタイトルの由来


2004年1月13日にムスリム(イスラム教徒)になったので、今日からムスリム5年目がスタートということになる。


2005年5月から昨年11月まで、gooで「日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記~アナー・イスミー・イスハーク~」というブログを綴ってきた。
しかし更新がストップしている上に、あまり「ゆとろぎ」ではないことに気がついた。


「ゆとろぎ」とは、片倉ももこ氏がアラビア語の「ラーハ( رَاحَةٌ )」を日本語に訳した造語。
「ゆとり」と「やすらぎ」を合わせた言葉であり、ゆったりと時間を過ごすことを表す。


ところが、「アナー・イスミー・イスハーク」はあんまりゆったりでもなく、ときどき暴走したりする。それになんとなく「良い子ぶって」、まだ本音で語っていないような気がしていた。


そんなわけで、更新がストップしている「アナー・イスミー・イスハーク」から心機一転し、新たなブログを綴っていくことにした。


タイトルは


إِسْحَاقُ بَيْنَ الابَدَيْنِ (イスハーク・バイナ・ル・アバダイン)


日本語に訳すと「二つの永遠の間のイスハーク」。


タイトルの由来は二つ。


ひとつは


クルアーン(コーラン)第2章:雌牛章(スーラトゥ・ル・バカラ سورة البقرة )第255節の一部、


يَعْلَمُ مَا بَيْنَ أَيْدِيهِمْ وَ مَا خَلْفَهُمْ


(ヤアラム・マー・バイナ・アイディーヒム・ワ・マー・ハルファフム)
「彼(アッラー)は人々の前にあることも後にあることも知っておられる」


から。


もうひとつはイギリスの作家テニスンの言葉
「人生――ふたつの永遠の間の一瞬の閃光」

から。

ひとりの人間の人生なんて本当に短い。そんな短い人生、もう少し本音で綴ってみようかと思う。


とはいえ、ずっと続けていく自信はあまりない。いつも通り、行けるところまで突っ走ってみるだけである。


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