日本人イスラム教徒日記:イスハーク・バイナ・ル・アバダイン

日本人イスラム教徒となって5年目を迎えてスタートしたブログです。タイトルの意味は「二つの永遠の間のイスハーク」。 gooブログの「日本人イスラム教徒ゆとろぎ日記:アナー・イスミー・イスハーク」の続編。

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一人称について

どうも日本語の一人称が苦手だ。


職場や知人には対しては、「私」ということが多い。でもよそよそしい感じはぬぐえない。ネット上でもだいたい「私」を使っているが、どうも心にブレーキがかかってしまう。


「僕」という言葉は子供っぽい印象があって昔から好きではない。私生活でもまず使わない一人称だ。


「俺」だとなんとなく傲慢な感じがする。親しい友人や、ある程度年下の知り合いには使うことがあるけれど。


「わし」は、本当はシャイな人が傲慢を装っているようでこっ恥ずかしい。マンガ『ゴーマニズム宣言』の作者の小林よしのりとか清原とかね。


かといって「小生」や「拙者」はかしこまりすぎだし、「わちき」はふざけすぎている。
「自分」という言い方はスポーツや武道の世界では普通に使っていたが日常的には変だ。自然に使いこなしている人がいるが、あれは一種の才能だと思う。一歩間違えると、硬派を気取っている頭の悪い大学生みたいになってしまう。


一人称ひとつとってもさまざまな表現があるところに、日本文化における人間関係の複雑さが現れている気がしてならない。
そして私(と、ここでは使ってみる)は昔から天才的に人間関係がヘタである。一人称が苦手ということはその反映でもあるんだろう。


英語なら "I" だけですむし、アラビア語なら أَنَا (アナー)だけですむ。
できればそういう文化圏に生まれたかったものだ。


とは言っても日本に生まれてしまった以上は仕方ない。苦手ながらもそれぞれの場面で一人称を使い分けるしかない。


そして、このブログでは自分のことを「俺」と表現してゆこうと思う。ネット上で「私」を使うのは少々飽きたし、多少の傲慢さや我を出してゆこうと思うからだ。


途中で気が向いたらまた別の一人称を使うかもしれないし、「私」に戻るかもしれないけれど、とりあえずは「俺」でスタートだ。
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テーマ:とりあえず書いとこ ~ф(゜゜) - ジャンル:日記

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